2015.01.27

「震災20年の年初めに」  兵庫県民間病院協会会報  2015年1月号

 

 明けましておめでとうございます。

 今年は阪神大震災20年目に当たります。あちこちで震災の経験を新たに、次に起きるであろう災害に備えるために催しが計画されています。思い起こすと20年前、私は116床の規模の病院にどのように取り組むべきか決心のつかないまま中途半端な医療を行っていました。まさに震災当日は始めたばかりの輪番一次救急当直。普段よりなぜか多い来院者で一睡もできない明け方のことでした。旧い建物の当直室のベッドには壁が完全に潰れており、そこに仮眠でもしていたら〜とぞっとしながら、生かされた使命を活かすことを心に決めたのです。

 甲陽断層のきわに立つ病院であり西宮市内で唯一完全機能不全に陥り全入院患者さんを他の病院に転送しました。それぞれの診療情報はままならず少なくとも名前と生年月日を間違わないように、自分で動けない、話せない患者さんたちの病衣にメモで貼付け送り出しました。近隣の病院はみな受け入れていただく余裕はなく、大阪方面から時間をかけて救急車で迎えに来ていただきました。特に暁明館病院さまにはとりあえず救急車に載せられるだけ載せていただき、その後あちこちの病院に振り分けもしていただきました。たくさんの病院に本当にお世話になりました。今なお感謝の念がこみあげてきます。

 入院患者さんの転送が終わった後は空っぽの病院で、職員とのミーティング。病院再開までのどのくらいかかるかもわからないまま、必ず帰って来てくれることを約束して涙の一次解散をしました。私の心はすっかり折れ中途半端な病院の継続を止めるいいきっかけなのだとも思いつつ、職員とは再開の約束をしてしまったことに気持ちは揺れ動いていました。

 病院の周囲は関西学院大学の学生寮が多く、全壊半壊家屋の連続でした。側には小学校と中学校があり、どちらの体育館も避難する人々で満員でした。学校検診には何度も出かけた事のある小中学校、体育館で避難所医療をするとは初めての経験でした。そこでであったのが上ヶ原の人々でした。私が知らないでも上ヶ原病院の先生が来てくれたと、お互いの無事を心から喜んで下さり近所の地域の人々の激励をもらいました。私が地域医療の温かさを知った転機でした。地域の人々を大事にしよう。地域に愛される利用していただける病院にならなければと揺れ動いていた私のこころはそのときから揺れなくなりました。

今も西宮浜にある復興住宅からバスを乗り継いで来て下さる患者さんもいます。

 地域医療に携わるには病院だけでなく、開業医、薬局、今では訪問看護やケアマネなど多職種、他施設との連携を大事にしなければなりません。病診、病病連携は言わずともがな。しかし、地域医療は在宅医療を意味するのではありません。何でもかんでも在宅へと誘導される今の医療制度の中で、誰もが納得する地域連携をやっていくために西宮市医師会長を大胆にも請け負ってしまいました。次の大災害がおこるとしたら、前よりももっとすばやく協力して補い合って心を折る暇のない強い連携が出来ていることと思います。

 阪神大震災20年を迎える年のはじめに、改めて皆様との絆を強めておきたいと思います。よろしくお願いいたします。

ページ先頭へ