2011.06.01

「石巻での経験」兵庫県民間病院協会会報2011年6月号

 日本医師会の災害医療支援チーム(JMAT)の一環として石巻へいってきました。震災直後の全日病からのよびかけには病院チームとして応ずる事が できず悶々とする中、現地までの足や宿泊、現地での仕事もすでに先遣隊によって形作られた兵庫県医師会の支援募集に手上げしたところ、うまくマッチングが 当たって参加するチャンスをいただきました。

兵庫県医師会は新潟県医師会チームと日赤チームとともに石巻市を担当する事となっていました。私が参加したのは5月2日から4日、兵庫県医師会の第21陣 であり、既に発災より一ヶ月以上も立って水道、電気などの基本インフラがかなり復旧されてきた時期です。ほんの少しまえに再開した仙台空港が玄関となって いました。

石巻中学校の教室  石巻中学校にひらかれた仮設診療所での診療のほか、周辺避難所への巡回診療などが仕事でした。医師は県医師会より、看護師は兵庫県看護協会より、薬剤師 会からも参加あり、お互いに初対面同士で、皆はじめは緊張のかたまりを感じていましたが、目的は同じで、動き出すとすぐにいい医療チームとして活動できま した。
 到着早々、大声で叫ぶ看護師に導かれて体育館へ。初仕事は脳卒中と思われる高齢者の救急搬送でした。尼崎市医師会の循環器内科朝田真司医師の好判断で、 市内で唯一健全に活動できていた石巻日赤病院へ。運んだ救急車は神奈川県消防局。本部の事務を司るは広島県。と突然全国的な支援の渦を実感。県看護協会か ら派遣の看護師がしばらく前から血圧が高く、マークしていたはずの方だそうで、搬送に悔しさしきりでしたが、マークのおかげでゴールデンタイムに搬送でき たことだといいきかせることにしました。

石巻中学校の教室02  石巻中学校の教室一つを使って設置された医療救護所は診察室と眼科用の暗室にできる診察室、薬局コーナー、物置件休憩場所件仮眠コーナー、待ち合い件 ミーティングコーナーに、白板や大型テレビなどでしきり、雑然としながらも先陣の先生方により機能的に動いていました。私達の21陣では診察室に段ボール でできたベッドを腹部の診察台として新しく設置してもらいました。

 4人の医師、4人の看護師、2人の薬剤師、4人の事務で、手分けして石巻中学校仮設診療室、体育館、山下小学校、公民館、図書館、住吉中学校と仕事場は たくさん。被災者もあちこち。毎日自衛隊のお風呂に入れる所、毎日炊き出しのある所、体育館も風通しの良い所もあるかと思えば、窓もない体育館も。

畳の部屋もあるかと思えば、図書館の本棚の間に1列で並んでいらっしゃる毛布の列・・・掃除も風通しもままならない、和式トイレしかない、もちろんプライ バシーも、具合が悪くて毛布にくるまっていらっしゃるのか、夜中に寝れないから今寝ていらっしゃるのか、声をかけていいのか、そっとしてあげなければなら ないのか、看護師さんといっしょだからこそ、相談もしながら巡回しました。広い体育館の避難場所内の地図(人々の毛布の陣取りを島状に書いた)をつくり、 この島のこの辺りの人が血圧が高い。このコーナーの人が熱があった、などと、看護師さんたちの引き継ぎで医療の需要を探してまわる。あっという間に1日が 過ぎて行きました。

石巻での経験05  石巻中学校体育館では昼休みにAEDの講習会をしました。先陣の先生が持参下さったエアーレサシ(空気で膨らませるレサシアン)で18陣の森先生(尼 崎)に引き続いての2回目です。行政派遣の本部の青年達やボランティアたちは受講経験のある人もいれば、全く初めての人も。夜間医療チームがいない間の不 安もあり、短時間のため胸骨圧迫の練習とAEDの使い方のみでしたが、熱心に受講、練習してくれました。これが活かされないことを祈りながら・・・

 

 

 

石巻での経験04  避難所になっている学校の校長先生が、みずからも奥様を亡くし、かつ避難所の最高責任者としてずっとがんばっていらっしゃり、本部の方が潰されないかと 心配されていたり、認知症のおじいさんが集団生活はできず、個室を作って遠巻きに監視していられたり、そんな対応までに相談を受けました。本部の方々も交 代で、医療支援も交代で、変わらないのは被災者の方々だけ、それぞれに問題点が引き継がれ改善されいるのでしょうか。

 

 

 

 JMATに参加したたった3日間で、やらなければならないことがやっと見えてきたと思ったら、もう交代日となっていました。本当に何が出来たか、何か役に立ったのだろうか。中 途半端な仕事に対するかなりのむなしさを残して帰途につきました。高台に逃げることができた人々が津波の押し寄せるビデオを写していた日和山公園と完全に 瓦礫と化した海岸地区へ立ち寄る機会を得ました。津波の恐ろしい破壊力を目の当たりに、私達のあまりにもの無力に声なく、復旧まもない仙台空港へと向かい ました。空港へと向かう車窓からみた高速道路の周辺はだだっぴろい農地かと・・・農地は農地でしたが、よくみると、広々とした平地に自動車が瓦礫が転がっ ているのでした。

 二度とあってはならない災害支援という貴重な経験をさせていただいた事、また一緒に活動できた県医師会副会長小澤孝好先生、東灘区住吉川病院の渋谷浩二先生、尼崎市医師会朝田真司先生と看護協会、薬剤師会、各地医師会事務局の皆さん方にこの場を借りて感謝いたします。

兵庫県民間病院協会会報 2011年6月号より

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