2010.12.01

随想「医療の国際化」兵庫県民間病院協会会報2010年12月号

 明治維新、開国から約150年、第二次世界大戦後の復興から65年、日本の国際化、国際社会の中での活躍は目覚ましいものがある。医療においてもしかり、シーボルトが西洋医学を日本に伝授してから、日本は、現在国際的にも評価される医療レベルを確立してきた。

 そして今、国民皆保険の名の下、統制された医療経済に行き詰まりを感じたできる医療機関は医療供給の対象を日本国民から外国人富裕層へと矛先を向けつつある。いくらあっても多すぎる事の無い医療従事者と介護従事者、少子高齢化社会がはじまり、外国人の労働力に期待するのも必然なのだろうか。

 平成20年度から本格的に始まったインドネシア人看護師候補者と介護士候補者の来日は、日本人対象の 国家資格を彼女、彼らに開放するという、医療の国際化 の第一歩とも言える。ところが、勇気を持って、夢を持って来日したインドネシアの候補者達に日本は大きなハードルを仕掛けた。日本語による日本人と全く同 じ容赦のない国家試験の合格とそれまでの期間の限定である。自国ではバリバリの有資格者たちは、日本での仕事は看護師補助。日本語しか意思疎通手段の無い 日本人に混じって、これまでの知識技術が何一つ活かせない職場で働きながら、日本語の勉強をしながら、資格取得をめざす。平成20年度看護師候補者受け入 れ施設47、候補者104名。介護士候補者受け入れ施設53、候補者104人。一年半で約11名の脱落者は多いのだろうか、少ないとするのか。二年目は看 護師候補者173人(83施設)、介護士候補者189人(85施設)と倍増したが、三年めは両者会わせて106名、施設数ものべ44施設と激減した。そし て4年目はもうないという。日本語の勉強の困難さ、国家試験の期待薄、また受け入れ施設側の負担の多さもその原因のひとつである。日本インドネシア経済連 携協定(EPA)の名の下、将来の日本の医療を手伝ってくれる人材として、国家戦略として外国人労働者の教育、受け入れを計画してきたはずであったのであ るが、ここへきて座礁しかかっている。

 それぞれの受け入れ施設、現場では、日本人たちは彼らを暖かく迎え同僚として仲良く仕事をしている。各施設が国家試験に合格してもらいたい期待は高い。日本 語教師をつけ、国家試験の勉強も、一日の半分以上が勉強時間になっている施設も多い。きちんと国家試験に合格してもらわなければ、戦力にならないばかり か、この3年間(介護士候補は4年間)の努力が水の泡である。日本とインドネシアの親しい関係が構築できるならまだしも、3年間または4年間の日本滞在と 日本のこの閉鎖的な受け入れ態勢により、日本に対する評価が却って悪くなる恐れが見え隠れする。

 10月に神戸で行われた全日病学会全国大会でも、外国人雇用問題が取り上げられインドネシア看護師候補者が現状を隠さず彼女の目線で報告してくれた。
彼女が言った「日本人は、みんな自分たちが一番できると思っている」「日本人看護師もっと勉強してください」会場にいた日本人医療従事者には耳の痛い言葉だった。少なくとも、彼女達の勇気と努力は見習うものがある。そんな彼女達を上手に受け入れる事ができないのならば、日本の医療の国際化はまだまだ遠いのかもしれない。

 

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