2001.03.01

特別対談「ゲスト:ファイティング原田氏」

原田
六甲の山並みを背景に西宮市街を一望できる素晴らしい環境にある上ケ原病院さんですが、設立はいつなのですか。
大江
上ケ原病院としてのスタートは昭和54年の6月ですが、母体は昭和51年頃に創設された阪神中央病院と聞いています。そもそも西宮市で地域医療に取り組んだのは私の祖父森村真澄でして、74年前の昭和2年に現在兵庫医科大学のある土地で武庫川病院を開設したのが始まりです。昭和22年、祖父の後を継いだ父は同34年に新武庫川病院を設立し、その9年後には総合病院とする傍ら大学の設立にも奔走していたのです。そして兵庫医科大学が昭和46年に設立され、理事長に就任。一方、阪神中央病院はクリストロア病院に継承され、作家の由起しげ子の作品にも登場するような結核専門病院へと転進しており、父はそのクリストロア病院を兵庫医科大学の分院にでもと考え買い取ったのです。たまたま私が医師資格を取得していたものですから、私を上ケ原病院の院長に据え。
原田
現在、そのお父様は。
大江
私が大学を卒業した翌年に病で倒れ、その年の秋に他界しました。医者としても駆け出しの時期に院長で放り出されたのですから、どんな働きぶりだったかはご想像にお任せします(笑)。幸い、優秀なドクターやベテランナースなどスタッフに恵まれ、医者として院長として鍛えて頂きました。
原田
新院長には受難の道の始まりでしたね。こちらは阪神・淡路大震災の被害は。
大江
思い出すのがつらいほどの被害を被りました。そして震災後に病院を建て直して再スタートを切ったのが平成9年でした。
原田
新病院の完成は地元地域の皆さんにとって、貴重な支えになったでしょうね。
大江
スタッフ一同そうありたいと、心から祈念しました。それまでは内科中心の医療を展開していましたが、震災以来、外科系の科目も充実させることにしたのです。
原田
老人医療にも取り組みを。
大江
はい。当院にはリウマチや糖尿病、消化器疾患専門のドクターもおり、またリハビリにも力を入れていますので高齢者や慢性疾患の患者さんが多く、在宅医療や末期医療は以前から得意分野としていました。震災後、その流れを更に展開させようとベッド73床を併設する老健施設も開設。そちらではディケアや訪問看護も行っています。
原田
院長のご専門は。
大江
白血病などを含む血液疾患です。
原田
昨年の夏、K-1のアンディ・フグ選手が亡くなりましたが、彼の病気が白血病だったようで。
大江
ええ、治療した医師団の発表では急性前骨髄球性白血病ということでしたね。最近では骨髄移植により克服できる白血病も増えていますが、移植を受けられる状態にもっていくまでの治療が非常に重要であり難しいのです。当院では私を含め3人の血液疾患専門医がおりまして、新病院設立を機に無菌室も整備し、化学療法にも積極的に取り組んでいます。
原田
大学病院並みですね。
大江
兵庫医科大学とは緊密な連携体制を取って、移植前の治療を行った患者さんを医大へ送ったり、医大で移植手術された患者さんのその後の治療を担当したりなどしています。血液疾患だけでなく、固形癌の化学療法も自己抹消血幹細胞移植(自分の造血幹細胞を採って保存し、大量の抗癌剤の後に再輸注する)まで踏み込んで展開しています。
原田
救急医療も引き受けておられると。
大江
西宮市では救急医療を各病院で分担し合っていますが、当院では月に約10回救急医療を引き受けています。加えて、入院設備のない開業医さんや老人ホームのドクターから、急変した患者さんの救援連絡が入ることもしばしばで、スタッフは土・日も病院内外を奔走しています笑。
原田
地域医療の担い手として日々多大な貢献を重ねていらっしゃいますね。院長の今後の展望や夢といいますと。
大江
地域医療に求められているのはある程度浅くとも広い医療だと考えています。その使命を担うには日進月歩の新しい医療も取り入れる必要がありますが、ここでは研究・研究医療は行えませんので、私の専門分野の血液疾患を始め、最新の医療情報・一般化された医療技術情報は随時、大学病院などから頂いています。そうした情報を含めて、スタッフの能力を高めるため定期的に勉強会を重ねていますが、それでもまだ不充分だと思いますし。今後の展望としてはスタッフ教育・指導に力を注ぎ、乳幼児から高齢者まで地域の皆さんから「上ケ原病院へ行けば安心」、「暖かい血の通った医療」と信頼される医療が提供できる病院を目指したいと思っています。
原田
これからも地域の皆さんの期待に応え、更なる医療活動に頑張ってください。
(国際グラフ 2001年3月号掲載)
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